水面に揺らめく島々の影、太陽の光を受けて輝く松の緑、そして潮の香りが混ざり合う風。松島を訪れた瞬間、時間の流れが緩やかになったように感じた。東北の海に浮かぶこの風景は、ただの観光地ではなく、悠久の時を超えた詩のようだった。
朝靄の中、湾内を進む遊覧船の窓越しに眺める松島の島々は息をのむ美しさだ。約260の島が点在するこの景観は、「日本三景」の一つとして古来より讃えられてきた。一つひとつの島が持つ表情の違い、そこに生い茂る松の木々の強さ、波に削られた岩肌の柔らかさ。それらが織りなす風景は、まさに自然が長い時間をかけて描いた傑作と言えるだろう。
「四大観」と呼ばれる四つの展望スポットからは、それぞれ異なる松島の姿を見ることができる。「壮観」を誇る大高森からは松島湾を一望し、「麗観」の富山からは優美な島々のシルエットが、「偉観」の多聞山からはその雄大さが、そして「幽観」の扇谷からは静謐な情景が広がる。同じ松島でも、視点を変えるだけでこれほど多彩な表情を見せるのは驚きだ。
五大堂は、小さな島の上に建つ赤い社が印象的だ。その桃山様式の建築は、湾内のシンボルとして多くの人々の心に刻まれている。橋を渡り、足を踏み入れると、波の音と共に歴史の息吹を感じる。ここから眺める松島の景色は、まるで掛け軸に描かれた水墨画のように静かな美しさに満ちている。
瑞巌寺は、東北屈指の禅寺として知られ、その国宝に指定された本堂は厳かな空気に包まれている。杉木立の中を進み、門をくぐると、世俗の喧騒から切り離された別世界が広がる。伊達政宗も愛したという庭園は、石と苔と水の調和が美しく、四季折々で異なる表情を見せる。
福浦島へは赤い橋を渡って向かう。島内の散策路を歩けば、自然の豊かさを肌で感じることができる。潮風に揺れる松の枝、足元に広がる野の花、そして時折聞こえる鳥のさえずり。この島は、松島という大きな絵画の中に描かれた、ひとつの詩のようだ。
2011年の東日本大震災は、松島にも大きな試練をもたらした。湾内の島々が天然の防波堤となり、他の沿岸地域と比べれば被害は限定的だったとはいえ、尊い命が失われ、海岸沿いの商店街や道路は浸水した。しかし、地域の人々の不屈の精神によって、松島は着実に復興への道を歩んできた。震災から僅か数ヶ月後には、遊覧船や水族館、土産物店などが次々と営業を再開し、再び観光客を迎え入れるようになった。
震災の記憶を伝える活動も行われている。語り部による震災体験の語り継ぎや、防災教育ツアーなどを通じて、過去の教訓を未来へと繋げる取り組みが続いている。これらは単なる観光の一環ではなく、自然との共生や防災について考える貴重な機会となっている。
松島を訪れる醍醐味の一つは、やはり海の幸だろう。特に牡蠣、穴子、海苔などの松島湾で獲れた新鮮な海産物は格別だ。中でも私が心底魅了されるのは、赤紫色に輝くホヤの刺身だ。初めて口にした時の衝撃は今も鮮明に覚えている。独特の風味と食感、そして海の香りが口いっぱいに広がるあの瞬間を求めて、私は何度も松島を訪れている。「海のパイナップル」とも呼ばれるこの珍味は、私の大好物であり、東北を訪れる度に必ず探し求める逸品だ。大洗にアンコウがあるように、松島にはホヤがある──そう言っても過言ではない。観瀾亭で一服しながら眺める松島の景色と共に味わう地元の味は、旅の記憶を一層豊かにしてくれる。
満月の夜、月光に照らされた松島の姿は幻想的だ。海面を銀色に染める月の光、静寂に包まれた島々のシルエット、そして波の音だけが聞こえる空間。それは現実と非現実の境界線が溶けるような体験だ。
松島は自然の美しさと歴史・文化が融合した場所であり、震災からの復興という強さも併せ持つ。時に穏やかに、時に荒々しく変化する海と、そこに静かに佇む島々の姿は、訪れる者の心に深く残る風景だ。それはただの景色ではなく、悠久の時を超えた日本の心そのものなのかもしれない。
文・一順二(にのまえ じゅんじ)

